「母智丘 千本桜」の復活

母智丘 千本桜

当社には、2013年に35年ぶりに復活させた「千本桜」という芋焼酎があります。
1978年、先代の4代目が40歳の時、当蔵は、芋焼酎の製造をやめ、「むぎ焼酎専門蔵」になりました。 大手の芋焼酎に押され、価格競争に飲み込まれそうになっていた当時、都城で一番歴史のある当蔵を残すための経営判断でした。「千本桜」は、1902年の創業当時から引き継がれてきた芋焼酎。当社を代表する銘柄の製造をやめることは、先代にとって苦渋の決断だったはずです。
私がまだ20代の頃、エンジニアとしての仕事を辞め、蔵を継ぐ決意をした時、「千本桜を復活させたい!」と強く思いました。父が製造をやめた「千本桜」。その復活こそが私の使命と思い込んだ私は、日頃からお世話になっている酒屋様にご挨拶に伺い、その復活を宣言しました。酒屋の方々は、口々に私のその宣言を快く歓迎してくださいました。
ただ、ある酒屋様は違いました。私を叱ってくださいました。
「それは違う。」と
叱ってくださった酒屋様は、若かった私の勘違いを正面から忠してくださいました。
「お父さんへの敬意を示すなら、まずはお父さんが一生懸命造り続けてきた、むぎ焼酎のブランドをしっかり受け継ぎ、守ることが先だ。それができた後に、新しいことができるのだ。」
先代が、蔵を守るために、家族や従業員を守るために、焼酎を守るために造ってきたむぎ焼酎の味を守る、それが私の使命。
教えていただいた私は、ただ一心にむぎ焼酎を造り続けました。先代からのブランドを守り、蒸留に工夫を加えて自分のスタイルの新しいむぎ焼酎も創りました。
5代目として蔵を守り、先代の技を受け継いで10年経った年、私は40歳になりました。その年に「千本桜」を復活させました。
35年ぶりの当社の芋焼酎「千本桜」の復活です。
断腸の思いで造るのをやめた芋焼酎をもう一度柳田酒造から送り出すために、病床の先代も杜氏魂を奮い立たせ、渾身の力をふるって陣頭指揮をとりました。
蔵のみんなで、ふたたび「千本桜」を復活させた時の嬉しさは言葉にはできないほどで、皆様への感謝があふれ出た瞬間でした。
家族経営の小さな蔵ですが、私たちは、先代から受け継いでいる「焼酎の味と思い」を守るという信念を貫くつもりです。
柳田酒造は、いつも生真面目に 焼酎造りと向き合い、励んでおります。

当時の写真