ミヤザキハダカの復活

ミヤザキハダカ

 麹造り、酒母造り、蒸留にこだわって焼酎造りを続けながら、もっともっと旨い焼酎を追い求め、たどり着いたのが原料の「麦」の追求でした。宮崎では、戦前から戦後にかけて広く麦が栽培されていましたが、時代と共に栽培面積は少なくなり、昭和の終わり頃にはほとんど栽培されなくなりました。
 平成17年、焼酎の原料となる「麦」が再びこの地で育つのかを試みたくて、都城市山之口町にある畑を知人から借り受け、昭和の時代に自分達の手で麦の栽培に挑戦しました。ちょうどその頃「ミヤザキハダカ麦」という品種があることを知りました。「ミヤザキハダカ麦」は、古くから宮崎全域に自生していた在来種の裸麦です。 昭和17年に宮崎県の奨励品種に指定され、県内で多く作られた「宮崎を代表する麦」と言われています。昭和35年には、県内の作付面積は約20,000haを超えていたという記録もあります。ところが、家庭での味噌づくりの風習が衰退し、農家の高齢化や外国産の安価な麦の流入により、昭和の終わり頃「ミヤザキハダカ麦」はほぼ絶滅してしまいました。
 当蔵には、「地元に深く根付いた焼酎造りこそ本来の地酒のあるべき姿」という教えがあります。「ミヤザキハダカ麦」に出会った当蔵は、宮崎に由来するこの在来種を私たちの手で復活させて、この麦で焼酎を造ることを強く願い、その道を突き進むことになりました。
 平成19年、ようやく「ミヤザキハダカ麦」の種を入手しました。翌年、隣町の三股町で製茶業を営む「有限会社宮崎上水園」の上水漸社長の手でこの幻の麦が甦りました。この麦を「宮崎食品開発センター」に持ち込み、宮崎県との共同研究で試験醸造を行いました。その結果、麹特性に優れ、特に減圧蒸留によって個性豊かで芳醇な香りの焼酎ができることを確認できました。
 平成21年11︎月、いよいよ本格的な委託栽培を開始。栽培委託は、宮崎県高原町で高度な麦栽培技術をもつ「農事組合法人はなどう(黒木親幸組合長)」にお願いしました。「はなどう」の高度で卓越した麦栽培の技術と、霧島山麓にある高原町の雄大で美しい風土により素晴らしい幻の「ミヤザキハダカ麦」が復活しました。
 私たちは焼酎を造ることしかできませんが、この本業に誇りを持ち大切にしながら「自然の恵み」と「農家さんの手のぬくもり」が伝わる焼酎をこれからも目指してまいります。

柳田酒造合名会社 5代目蔵元  柳田 正